2009/03/11

2009 DD45とは、おぬし、何者だ?

十階建てのビルくらいの巨大隕石が、三月二日月曜日、地球のすぐそばを通過した。と、過去完了で、BBCは報じた。
人類にとって、これはこわいことだったのだ。地球から72000キロに接近してきた、この隕石の直径は、21から41メートル。アポロ型小惑星に分類されるのだろうか。侵入者の正式名は、2009 DD45.
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まず、土曜日オーストラリアで発見されたが、MPCの専門家チームが確認したのは三日前だったそうだ。宇宙空間のニアミスと報じたブログもある。知らぬが仏だった。

この惑星がもし地球に衝突していたら、どうなっただろう。破壊力は、広島原爆1000個に相当すると専門家は警告する。後の祭りだが。
小惑星としては、1908年、シベリアのツングースカ川流域上で爆発して、2000平方キロにわたり、8000万本の樹木をなぎ倒した隕石と同じサイズという。BBCは、ほかにもでかい惑星があるとして、ジャガイモみたいな惑星イトカワの写真をのせている。(最近の研究では、シベリアに衝突した、あの隕石の直径は、いわれたより小さく30メートルではないかとも。)

週末、日本のマスコミは、世界恐慌はそっちのけで小沢党首の献金疑惑や、WBC日韓野球の報道で多忙を極めていた。 ことは重大とみた国連の地球接近物体対策チームは、今年の六月にこのような重大問題を公式に検討するが、その前にDD45について話し合うとしている。話しあってどうにかなるものかなあ。 090302-2.jpg


















BBCによれば、ある専門家の意見では、隕石の破壊力は、内部の物質構造と、地球大気に突入する角度しだいだそうな。祈るしかなさそうだ。

つぎは、2029年に、大きめの小惑星99942アポフィスが21000マイル以内に接近するそうだ。
杞憂(ワードでちゃんと変換されて出てくる)におわればいいが。

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2009/03/06

抱擁を無料でいかが?

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ある晩テレビのドキュメンタリをみていたら、冒頭奇妙なシーンがでてきた。

一人の気の弱そうな青年が、街頭で、看板を胸に抱いて立っている。
手書きの看板には、英語で「FREE HUGS」ハグします。無料で。と書いてある。
道行く人たちは、だれひとり気づかずに、青年の前を通り過ぎてゆく。無表情な青年が、なぜ、その場所にぽつんと立っているのか。看板に書いてある英語の意味がわからないからだ。
看板のHUGとは、抱擁だ。字引には、HUGとは(通例愛情をこめて両腕で抱きしめる)とある。
無料でハグしてあげるよ。
ようやく、気がついて一人の外人の青年が笑いかけてハグしてきた。青年は、こわばった無表情で、笑い返しもせず、ハグし終わると、またもとの姿勢に戻った。他人事ながら、あ、これじゃあ、コミュニケーションは取れないなと思った。
これは、NHKの「一期一会」という番組の奇妙な出だしのシーンだ。アナウンサーの解説では、FREEHUGは、ネットでは、すでに世界的に有名なキャンペーンだという。

青年は十九歳の専門学校生。いじめにあって、ことばによるコミュニケーションに絶望した。週に一度、思い切って道行く人と抱擁を交わすフリーハグをしているという。 090228-2.jpg












へえ、こんなことが、若い人の間で、はやっているのか?ぼくは、知らなかったので、ネットにあたってみた。 これは、国際親切運動とでも言うキャンペーンで、80カ国で展開されているらしい。マンという人が、シドニーで始めた。テーマソングも有名らしい。「知らない人にハグしてあげよう」というしごく単純な原則だ。

「フリーハグ」すれば、こうなるよ。親切にもネットに120ページものガイドブック電子(PDF)版が用意されていて、こんな風に書いてある。 090228-3.jpg











なにかでっかいことの片棒をかつぎませんか? 世界を変えるには、あなたの両腕だけを、おおきくひろげるだけでよいのです。

だれかさんに、ちょっとだけかがやく日をつくってあげる。知らない人も、結局は、そんなに悪い人じゃないよとみんなに教えてあげる。
みんなをひとつにし、幸せなときを 分かち合う。
あなたが悲しくてさびしいとき、フリーハグすれば、ほかのひとに話しかけ、笑いあうことができる、だれかが、あなたに笑いかけてくれる、誰かがあなたに腕をまわして大丈夫だよといってくれる。

フリーハグが、いちばんよくわかるのは、ユーチューブの動画だ。世界中の国々によって、よびかけに応ずる人の態度が異なるのがおもしろい。一期一会、さまざまなハグ場面をみると、ほほえましく、思わず笑えてくる。
なかでも、日本人が世界で一番ぎこちないのは仕方がない。なにしろお辞儀の国だからなあ。

このキャンペーンを支持したい人は、寄付してほしいとのことだ。
特製FREEHUGSのTシャツを買ってもらえれば、収益でこのサイトの運用費がまかなえる。電子ガイドブックもパソコン上で読むのは住所氏名を名乗れば無料だが、プリントアウトしたければ寄付してほしいと事務局。
ぜんぜん知らない人に呼びかけて、抱擁し合う。ぼくにはむりだが、こんなことで世界が仲良くなれるのなら、がんばってほしい。

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2009/02/25

二月二十二日 きょうは、にゃんの日?

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あまり知られていないが、「ネコの日」なのだ。1987年英文学者の柳瀬尚紀らネコ好きのひとたちが集まって「ネコの日制定委員会」をつくって、ペット業界をたきつけ、にゃんにゃんにゃんと、222のごろあわせで制定されたということだ。 nansai090225-2.jpg









ぼくはこの日を「ネコの絵供養の日」と決めている。
描き散らかしたぼくのお絵かきアーカイブは、乱雑きわまりなく、いまや資源ごみの山と化した。
ネコの絵も、そこにずいぶん投げ込まれているが、衰えたぼくの記憶では、いつ何を描いたか、底に沈んだネコたちは、もう呼びもどせない。で、グーグルデスクトップの助けを借りて、浚ってみることに。

化けて出ないように、すっかり忘れていた猫関連の絵を数匹分ひろいあげて、ちょいと手をくわえたりして、供養する。 nansai090225-3.jpg









羽織を着せて、今はやりの落語家に。
四月には、となりのイタめしレストランで、中堅落語家の寄席が開かれることになった。演目は、地元の八軒家船着場にちなんで、古典落語の名作「三十石 夢の通い路」と決まった。 nansai090225-4.jpg










ずいぶん前に描いたねこを、りかちゃん人形のように、衣装を着せ替えるのは、デジタル画?の特技である。

当家にも、ぼくにだけなつかない「愛猫」?が一匹いる。元捨て猫なのに、リスペクトの気持ちがまったくなく、家長であるぼくを黙殺、無視して、家中をわが物顔に、動き回っている。きのうも、台所のドアの隙間をすり抜けて脱走し、心配させたあげく、しばらくして同じドアからなにごともなかったかのように家のなかへ戻ってきた。絵にも描けないせわのやける駄ネコだが、我が家の統合のシンボルなのだ。
ぼくも「ねこの気持ち」なる月刊誌を購読して、なんとか、猫の心理を推し量ろうとするが、徒労に終わっている。 nansai090225-5.jpg














新聞の投句欄で発見、これはうまいなあ、と思ったネコの俳句、川柳かな?詠み人どなたか失念。

大あくび ねこが獣に戻るとき

あごのはずれそうなネコの大あくびは、ぼくの腕では、スケッチが難しい。うちのネコをモデルにして、そのうちにと、ねらっているのだが。

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2009/02/14

二月十四日 ある雌ペンギンのバレンタインデー

未曾有のきびしい時代に、どうでもいいニュースだが、ときに、つい顔がほころんでしまうような話題が、世界に配信されている。ユーチューブで、ネットで。たとえば、オーストラリアの山火事でやけどしたコアラのサムだとか。

このペンギンのロキシーは、ロンドン動物園の住人だ。雌なのに、縁遠くまだ独身である。4歳の妙齢だ。 nansai090218-1.jpg














彼女は、ペンギンのなかでも、絶滅を危惧されているイワトビペンギン種である。
だが、バレンタインデーには、山ほどの愛をプレゼントされているらしい。檻には、小さな郵便受けが置かれている。ファンから寄せられたカードがこぼれ落ちそうだ。
SNSのマイスペースに、自身のホームページも持っている。

彼女は、前の動物園では仲間と折り合いが悪く、ここに移って一年。飼育係氏によれば、ほかのペンギンたちはみな相手がいるが、ロキシーは意に介さない。彼女はプールをひとりじめにして、きままにすごしているのだそうな。
そんなにもカードが集まる人気の秘密は、若くて独身の彼女は、ロンドン動物園で一番人気のある養子だからなのだ。

海外の動物園は、どこも資金難だろうが、アイデアにあふれている。動物の養子縁組制度がおもしろい。 nansai090218-2.jpg











だれでもロキシーを養女にできる。動物園は、養い親を募集して、養育費を出してもらうのだ。
ロンドン動物園のウエブサイトをのぞいてみると、ロキシーの養子縁組をすすめている。愉快なのは、バレンタインデーの贈り物に、里親権?をすすめている。申し込みもメールでも受け付けるそうだ。ロキシーの里親になって!

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2009/02/10

北大江公園一帯は、戦国末期の古戦場だった。ここで信長軍と顕如軍が激突した。「本能寺の変」の十二年前。

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この石碑は、公園内のどこにも、もちろん存在しない。南無阿弥陀仏。ノミのかわりにマウスを操って、ぼくがバーチャルに建立したものだ。南無阿弥陀仏。
灯台下暗しとは、このことである。目と鼻の先の小さな公園が石山合戦の古戦場だった。
北大江公園から坐摩神社行宮へかけての一帯は、400年前の戦国時代の砦の跡だったのだ。石碑ひとつ建てられていないのは、どうしたことか。

なにしろ元亀天正の頃、大阪城を秀吉が築く前の話だ。
ここらあたりは「楼の岸」と呼ばれ、砦が築かれていた。「楼」とは、物見やぐらのことである。
石山合戦では、信長、本願寺をあわせると、かなりの数の砦や出城が築かれた。「楼の岸」は、そんな多くの砦のうちのひとつである。

大川から見上げれば、ここは上町台地の北端の要害の地で、元亀元年、顕如率いる石山本願寺と織田信長軍が激突した。
天下統一をうかがう信長を、武田、上杉、毛利、本願寺と、織田包囲網が形成され、各地で戦いを挑んできた。
元亀元年八月、信長軍は、三次三人衆軍と「野田城・福島城」の戦いで対決した。このとき、信長は命じて「楼の岸」に砦を築かせた。敵の長期篭城に備えてのことだ。
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九月十一日、両城へ攻撃開始。この戦いで、日本で始めての鉄砲を用いた攻防がくりひろげられた。 射撃は傭兵の雑賀・根来鉄砲衆が、敵味方に入り乱れて撃ち合った。鉄砲衆は、技能練達のスペシャリスト集団だ。今で言う期間限定の「派遣」兵で、伝来したばかりの鉄砲を携えて戦国大名の戦闘を請負い加勢した。
信長公記は、このときの様子を「御敵見方の鉄砲誠に天地も響くばかり」と記している。
ところが、九月十二日になって、突然,早鐘が打ち鳴らされ、本願寺顕如軍が戦線に参加した。
このまま、敗色濃い三次勢が信長に降れば、次はすぐ近くの本願寺の明け渡しを迫るに違いないと、顕如は危惧したのだ。
顕如みずからが、鎧を着て、信長本陣に襲い掛かり、楼の岸砦には鉄砲を撃ちかけた。中立を装っていた本願寺軍の参戦で、攻守はたちまちにところを変えた。こうして、その後十一年にわたる石山合戦の長い長い戦いが始ったのだ。 nansai090210-2-2.jpg














この砦は、各地の敵に転戦せねばならぬ信長群が引き上げると、封鎖された本願寺への重要な物資揚陸基地となった。ここは、難波津、渡辺津と、古来よりの良港で、海からの救援物資をここから陸揚げしたのだ。封鎖を突破しようとする 毛利水軍と、それを阻止しようとする織田水軍の 海戦がいまも語り草になっている。

やがて、天正七年、石山本願寺はついに信長に屈服し、顕如と教如は、親子対立のまま前後して大阪の地を去ることになる。
本願寺津村別院のウエブサイトには、つぎのように記してある。
「織田信長公との長い争いにより、本願寺は、生みそだててくれた大阪をはなれねばならなくなり、そこで、大阪の門徒は、この地での「お念仏」の灯りをまもるために、天満に近い「楼の岸」に新しい坊舎を建立しました。」と。
のちに、現在の津村の地に移るのだが、当時の坊舎の位置は、石町坐摩神社行宮のあたりではないかと推測するむきもある。
五木寛之氏の著書「宗教都市・大阪前衛都市・京都」にも、「楼の岸」の地名がみえている。

にわか地元史家のぼくは不勉強で知らなかったが、「楼の岸」は知る人ぞ知るで、詳しく研究している先達のサイトも数多くあるようだ。教えられるところが多い。
ぼくは、何の気なしにぶらぶらサーチしていて、たまたま、ネット上でこの地名と初めて出会った。参考文献にも出合えた。
公園は、毎日近道して横切っているのに。

長編時代小説「楼岸夢一定」は、直木賞作家の佐藤雅美が、蜂須賀彦左衛門正勝の生涯を描いている。
正勝は、「小六」の名で親しまれている。 nansai090210-3.jpg










天正四年、この地で、51歳のかれは門徒一揆の大軍に先陣を切って突っ込んだ。気がついたら敵の首を一番多くあげ、「楼岸一番の槍」と褒めたたえられる鬼神のごとき働きを信長の馬前で見せて、陣羽織を拝領した。

小六は、晩年ここに屋敷を立てて住み、病の床から、過ぎし日々を回顧する。楼岸の小六の屋敷は、淀川を借景として建てられている。
「久しぶりで淀川を眺めてみたい」と、小六はからだをおこした。
大阪築城に当たり、淀川の両岸に植えさせた木々が青々と色づいてきて、目にまぶしい。
そこへ、突如「うおー」と刀槍を合わせる何万もの雄たけびが、小六の耳朶によみがえった。

小説の題名の「夢一定」は、信長の好んだ小唄「死のうは一定 しのび草にはなにをしょぞ 一定かたりおこすよの」から来ている。
「一定」とは、「確かにそれと決まっていること」と字引にある。

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